For Nippon

日の丸・君が代を取り戻す

建国記念の日

 
 
本日、2月11日は「建国記念の日」です。
 
  敗戦後の日本はGHQの占領政策の一環で新聞各社への報道規制などの情報統制プレスコード )や洗脳工作によって自虐史観を植え付けられてきました。
  War Guilt Information Program (WGIP) と呼ばれる計画により、日本人は戦争による罪悪感を植え付けられ、例えばテレビや新聞などのマスコミ・メディアは「戦争責任の全ては日本側にあり、日本が一方的に悪いことをした。」などというキャンペーンを70年間繰り返し、学校教育の多くにおいても日本の「戦前戦中の姿」をほぼ全否定し、それが悪であったと教え、徹底した反日教育で子どもたち(日本国民)に自虐史観を植え付けてきました。
 
 その戦争への罪悪感や自虐史観だけに留まらず、WGIPによって日本人は日本古来の良き伝統、文化を奪われ歴史までも歪められてきました。(この辺に関しては後日詳細を語ります。)
 
 政治家や有識者、あるいは教育者などが過去の歴史を正当化したり、日本のよいところを主張すればマスコミ・メディアは鬼の首を取ったかのように大騒ぎし、徹底的に糾弾します。
 
 日本の神話をひとつとってもそうです。
 
 日本の建国については諸説あります。信じる信じないは人それぞれ、それは神話であり日本人が何年も前の大昔から語り継いできたものです。
 
 昨年、愛知県にある公立中学校の校長先生がで生徒たちに向け「建国記念の日」に際し、日本という国がどのようにして建国されたのかを説明するブログを発信しました。
 その中で、自国に誇りをもつように訴えたところ、市の教育委員会から「神話を史実(日本の歴史)のように断定的に書いている」などと指摘を受け、ブログを削除し、一部のメディアで取り上げられ話題となりました。
 ブログでは『民のかまど』の話を紹介し、「この話は神話」であると断った上で国の成り立ちを紹介しました。しかし、これを良しとしない一部の困った人々が「ケシカラン」となり校長の言論は封殺されてしまったのです。
 
 日本だけでなく、多くの国々、土地それぞれに神話や伝説があり、それらが大昔から語り続かれ、それを大切に守ってきたからこそ今日があり、その国があるわけで、どうしてこれが「良くないもの」とされるのでしょうか。この可笑しなくに日本だけです。
 
 以下に愛知県一宮市立中学校のブログを引用しています。
 
 「建国記念の日」に改めて、日本を知ることが大切ではないでしょうか。
 
 【ブログ全文】
 
 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。
 
 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。
 
 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。
 
 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。
 
 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」
 
 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。
 
 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」
 
 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。
 
 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。
 
 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇マッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。
 
 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。
 
 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。
 
 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。
 
 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
 
 古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。
 
 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)