For Nippon

日の丸・君が代を取り戻す

いい夫婦の日

 今日、11月22日は「いい夫婦」の日だそうです。

 全国のご夫婦の皆さん、いい夫婦していますか?

 今日だけではなく11月は「いい〇〇」の日が多くあるみたいです。

 娘の誕生日であった16日は「いい色の日」だったんでしょう。きっと

 

 「いい夫婦の日」の大阪では大きな選挙があります。

 大阪府知事大阪市長を決めるダブル選挙です。全国的にも注目されるでしょうこの選挙は長年続いてきた府と市の二重行政を解消することを目的に大阪都構想を実現しようとする大阪維新の会と非維新勢力との戦いとされています。まあそんなことはどうでもよいのです。(よくはないですが、この場ではどうでもいいのです)

 今は維新VS非維新となっていますが、なぜこういう構図になったかといえば元々は大阪【府】と大阪【市】の二重行政、よくか分からない関係にあります。両者の府と市を合わせて「不幸せ」あるいは「不仕合せ」などと揶揄されてきました。

 

 「いい夫婦の日」に「不幸せ」な選挙。さすが大阪という気もします。

 

 大阪府の皆さん、選挙へ行きましょう。

 よく、「誰に入れても一緒」「何も変わらない」などと言って投票をボイコットする人がいます。日本の国政選挙の場合、調べてみると前回(平成26年)の衆議院選挙投票率は52.7%で、同(平成25年)参議院選挙の投票率は52.6%とほぼ全く同じ数字となっています。

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 国政選挙で50%前半の投票率は寂しい気もしますが、個人的には低い数字だとは思いません。もちろん日本の国民がもっと政治に関心を寄せ投票率が70%、80%と高くなれば良いのですが、この日本の現状をみて有権者の半分が参政していると考えれば良々ではないでしょうか。

 

 一方、全国の地方選挙を平均的に見た場合はどうでしょう。

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 見ての通り近年、地方選挙の投票率国政選挙とくらべても大きな違いがないことが分かりますが、綺麗に右肩下がりであることがよくわかります。

 国政選挙が上がったり、下がったりしているのに比べ地方選挙に関しては年々下がっています。どういう原因があるのでしょうね。

 (問題のある国会議員も多いのですが)号泣会見をした人、セクハラをした人、政務活動費で私腹を肥やす人々、最近やたらと目立つ地方議員の問題行動となにか関係があるのでしょうか。

 

 

         「選挙で誰に入れても同じ」

 

        「何も変わらない」

 

     「誰が総理大臣になろうと同じ」

 

 

       本当にそうでしょうか?!

 

 このような言葉を聞くたびに私は、そう発言する人が日本国民として日本の政治から逃げてるとしか思えません。政治は大切です。政治が全てです。国を動かすのも、地方を動かすのも政治です。国民を救うのも政治。子供を育てるのも政治。国のルールを決めるのも政治。全てが政治なのです。

 議会制民主主義の体制をとる日本は、国民主権の国です。国のすべてのルールを決めるのは我々国民であり。年齢18歳を過ぎた有権者に認められています。国民全員で話し合って物事を決め、進めることは不可能であるため、国民の代表あるいは市民の代表として国会議員や市議会議員を選挙という方法を用いて決め、話し合ってもらう仕組みなのです。

 それが政治であり、選挙なのです。日本では法律が改正され18歳から参政権を与えられます。政治に参加する権利です。権利でありながら義務でもあります。

 その国の国民として、その国の政治に参加する権利と義務があるわけです。

 

 「日本の政治はダメ」「ろくな政治家がいない」などという話もよく聞きます。全くその通りだと思います。もちろん、数少ないですが与野党に隔たりなく素晴らしい政治家もいます。自らの身も顧みず、日本のため、日本国民のため命がけで取り組んでいる政治家もいます。しかし、多くの日本人が思っているように国政や地方政治にロクでもない政治家がゴロゴロとしています。少し前に世間を騒がせ「維新の党」を除籍となり「エモーショナルだ」と吐き捨てた難波のエリカ様なんていう人は一体、何のため、誰のために政治家をしているのか全く分かりません。

 しかし、そのロクでもない政治家を生んでしまっているのは我々有権者なのです。

 

 政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ政治は国民のレベルにまで引き下げられる。

 逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でも、いつか国民のレベルにまで引き上げられる

 つまり、国民全体の質がその国の政治を決定するのだ。これは水が低きに流れるのと同じくらい当然の理論である。(サミニュエル・スマイルズ

 

 残念ながらもう150年以上前に出された「自助論」という本中の一節です。日本の今、現状を痛烈に指摘されているようです。

 

 ダメと言われる日本の政治があり、ロクでもない政治家がいるのは日本の国民レベルが低いからなのです。それは、水が引くいところへ流れたり、もっと分かりやすくいえば火が熱いのと同じくらい当然の話であるというのです。

 

 非常に残念であるが全くその通りだと...

 

 近年の投票率50%台が60%-70%-80%に上がれば共産党政権も夢ではありません笑。(全く望んでいません)

 しかし、選挙にいかない国民の半分のその半分が選挙にいって投票するだけで上のような大変革を起こせるの可能性があるのです。(共産党政権なんて御免だけど)

 ある選挙区に国民のためにならない政治家がいたとします。例えば、日本人でありながら事実にない慰安婦の強制連行問題を「認め謝罪するべきだ」などと仰り、国益を損なうようなロクでもない政治家を落選させるため、政治に関心を寄せずこれまで選挙にいったことのない多くの人々を覚醒させその票を(対立候補者に)投じることが出来れば悪い政治家を落選させることも出来るのです。

 

 選挙にいってもなにも変わらないではなく、選挙に行って変えなければいけないのです。

 

 そう!選挙に行こう!!